24時間 年中無休
営業時間
主な取扱商品
図書カード、図書券、ビール券、テレホンカード、おこめ券、クオカード、タクシー券、各種商品券、全国百貨店共通商品券、各種プリペイドカード、各種株主優待券、JR券、新幹線回数券、各種チケット、各種旅行券、航空券、お酒・ウィスキー券、お食事券、映画券、レジャー券、たばこ券、文具券、入浴券、音楽ギフト券、その他ギフト券、収入印紙・切手
買取強化中
店舗持込み買取30万円以上の場合、事前に持込店舗にお問合せ下さい。
郵送買取も行っております。
買取総額30万円以上で送料無料!
(レターパック分500円を弊社が負担)
買取入金時の差引き振込手数料は一律105円!
はじめての方へ
町(東京都 中央区)の豆知識
八重洲
八重洲(やえす)は、東京都中央区の町名である。「八重洲」は東京駅東側(八重洲口側)一帯を指す地区名としても用いられる。
郵便番号 〒103-0028(八重洲一丁目)・〒104-0028(八重洲二丁目)
目次
1 概要
2 地理
3 歴史
4 地域
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概要
中央区八重洲一丁目・八重洲二丁目は東京駅の東側に位置する。東京駅では西側の出口(皇居方面)を「丸の内口」、東側の出口(日本橋方面)を「八重洲口」と称することから、駅西側一帯を「丸の内」、東側一帯を「八重洲」と通称している。ただし、東京駅の駅舎、プラットフォーム等の施設はすべて千代田区丸の内一丁目に位置し、千代田区丸の内と中央区八重洲の境界は、東京駅八重洲口駅前よりもやや東にある。
八重洲口地区は、立地のよさから主にオフィス街として機能していたが、21世紀初頭から始まった再開発事業とともに商業スポットとしても注目されるようになった。八重洲には、本社を置き、また「八重洲」の名を冠した企業が多く存在する。「八重洲ブックセンター」の本店や、日本でも屈指の規模を誇る八重洲地下街もある。
八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(Jan Joosten van Lodensteyn)の和名「耶楊子(やようす)」に由来する。彼は、江戸時代に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられた。
現行行政地名としての「八重洲」は、1954年(昭和29年)の町名変更によって成立したもので、現行の八重洲一丁目は旧・日本橋区呉服橋、八重洲二丁目は旧・京橋区槇町である。中央区の町名のなかでは唯一、旧日本橋区と旧京橋区にまたがっており、前述のように八重洲一丁目と八重洲二丁目とで郵便番号が異なるのもその名残である。なお、かつての麹町区(現・千代田区丸の内)にも「八重洲町」があった(後述)。
地理
中央区の行政地名としての八重洲は、西を東京都道405号外濠環状線(外堀通り)、東を八重洲仲通り、北を日本橋川、南を東京高速道路に囲まれた、南北に細長い地域である。
東京都道408号八重洲宝町線(八重洲通り)を挟んで北側の八重洲一丁目と南側の八重洲二丁目が存在する。八重洲一丁目は旧日本橋区・八重洲二丁目は旧京橋区に属する。
町域の西は千代田区丸の内及び同区大手町に、東は中央区日本橋及び同区京橋に、北は中央区日本橋本石町に、南は中央区銀座に、それぞれ接する。
一般的用語としては、行政地名としての「八重洲」に限らず、東京駅東側一帯の、より広い地域を含む。八重洲口駅前に位置するグラントウキョウ(ノースタワー、サウスタワー)、シャングリラホテル東京などのビル群の住所はいずれも千代田区丸の内一丁目に属する[1]。
外堀通りの東側に位置するということは、現在の「八重洲」は外堀のさらに外側(東側)にあることになる。しかし、歴史の項で示すとおり、「八重洲」は歴史的には外堀の内側、現在の千代田区丸の内に存在した地域である。
歴史
東京駅八重洲口(鉄道会館ビル)とグラントウキョウサウスタワー(2008年)
鉄道会館ビル解体後(2010年)
元々の「八重洲」は現在の丸の内に相当する地域のうち、丸ビルと三菱ビルの間に存在する通りの南側を指す地名であった。ヤン=ヨーステンの屋敷も内堀沿いに存在した。「丸の内」は北側の永楽町と併せて江戸城の外壕の内側を指すこれらの上位的な地理的概念として存在した。
明治の頃まで京橋方面から丸の内に入るには外壕を渡らねばならず、1884年(明治17年)に呉服橋と鍛冶橋の間に丸の内の「八重洲」に通じる八重洲橋が架けられた。また、現在の東京駅八重洲口付近は、北町奉行所の在所でもあった。
1914年(大正3年)には東京駅が開業した。ただし、この時日本橋側(現在の八重洲側)は駅のすぐ東側が外豪であったため、地形的な制約を受けて入口が設置できなかった。その後、東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、八重洲橋も姿を消した。埋め立てられた外豪は「外堀通り」になった。こうして地形的な制約をクリアできたため、1929年(昭和4年)に東京駅八重洲口が設けられた。八重洲口の設置によって、八重洲口前を「八重洲」とする地理的な感覚が生まれることになった。
1929年(昭和4年)に東京駅周辺の地名が再編成され、東京駅の西側にあった「八重洲町」が廃されて「丸ノ内二丁目」のうちとなった(1970年の住居表示実施以降は「丸の内」と表記)。
一方、中央区の「八重洲」の成立過程は以下のとおりである。現在の八重洲一丁目・八重洲二丁目のうち、北側の八重洲一丁目は旧日本橋区で、かつては呉服町等の町名があったが、1928年(昭和3年)に呉服橋一丁目から呉服橋三丁目となり、1947年(昭和22年)の中央区成立時に「日本橋」を冠称して中央区日本橋呉服橋一丁目から日本橋呉服橋三丁目となった。一方、南側の八重洲二丁目は旧京橋区で、かつては北槇町、南槇町等の町名があったが、1931年(昭和6年)に槇町一丁目から槇町三丁目となり、1947年(昭和22年)の中央区成立時に中央区槇町一丁目から槇町三丁目となった。日本橋呉服橋一丁目から日本橋呉服町三丁目と槇町一丁目から槇町三丁目は、1954年(昭和29年)に「八重洲一丁目から八重洲六丁目」に再編され、これによって名実共に東京駅の西が丸の内、東が八重洲になった。この「八重洲一丁目から八重洲六丁目」は住居表示によって再々編され、八重洲一丁目から八重洲三丁目が八重洲一丁目に変更(1973年実施)、八重洲四丁目から八重洲六丁目が八重洲二丁目に変更(1978年実施)されている[2]。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月に、米軍の空襲を受けて東京駅八重洲口が焼失した。また、終戦直後の1949年(昭和24年)には失火により再び八重洲口が焼失した。2度の焼失によって八重洲口の再開発が促され、1954年(昭和29年)に八重洲口に鉄道会館ビルが建設され、八重洲のランドマークとなる大丸東京店が開業した。
八重洲口は、隣接する丸の内に比べ老朽化したビルが目立ち、再開発はあまり進んでいなかったが、現在「東京ステーションルネッサンス」の一環として再開発事業が進められている。2007年11月には、鉄道会館ビルの南北に超高層ツインタワービルグラントウキョウ(住所は「丸の内」)が大丸の移転とともに竣工した。今後、鉄道会館ビルは解体され、2013年春ごろには、跡地にペデストリアンデッキ「グランルーフ」と駅前広場が整備される予定である。鉄道会館ビルの解体により、東京湾側から丸の内側への海風の通り抜けが改善され、ヒートアイランド現象が緩和することが期待されている。
地域
教育
中央区立城東小学校
機関
中央警察署 - 同町周辺の管轄にあたる。(所在地:日本橋兜町)
日本橋消防署 - 八重洲一丁目周辺の管轄にあたる。(所在地:日本橋兜町)
京橋消防署 - 八重洲二丁目周辺の管轄にあたる。(所在地:京橋)
企業
みずほ信託銀行 本店
利用可能な鉄道路線
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海道線
中央線[1]
山手線
京浜東北線
横須賀線
総武線(快速)
京葉線
東北新幹線
山形新幹線
秋田新幹線
上越新幹線
長野新幹線
東海旅客鉄道(JR東海)
東海道新幹線
東京地下鉄(東京メトロ)
丸ノ内線 - 駅番号はM 17。
備考
JR東日本の路線名は正式な路線名とは異なる。東海道線は東海道本線の列車線を通る列車を指し、総武線(快速)は総武本線の快速列車系統を指す。山手線と京浜東北線は東海道本線(当駅以南)および東北本線(当駅以北)の電車線を通る列車の通称である。横須賀線は当駅 - 品川間で東海道本線の地下線を経由し、中央線は当駅 - 神田間で東北本線を経由するという扱いである。上越・山形・秋田・長野の各新幹線についても当駅 - 大宮間ではすべて列車の運転系統の名称である。すなわち、当駅に乗り入れるJR東日本の路線は東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線・東北新幹線の5路線である。上記の路線のうち、東海道・東北の両新幹線と東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線は当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。
かつては当駅が中央本線の正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。但し、現在でも0キロポストは設置されている。この中央線や当駅を拠点駅とする東海道・山陽新幹線および東北・秋田・山形・上越・長野新幹線を含め、当駅に乗り入れるすべてのJR線各列車に関し、正式には前述各線経由の乗り入れ列車という位置付けになっている。
また、JRでは当駅を「中央駅」と位置付けており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている[2]。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101 - 200km)。
当駅を発着するJR線と東京地下鉄大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている[3]。
駅周辺
当駅周辺は日本を代表するビジネス街となっており、昼間は人通りが多いが、夜間は少ない。JRの駅を中心とする以下の地下鉄各駅は概ね半径1km程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。
大手町駅 (丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線・都営三田線)
八丁堀駅 (京葉線・日比谷線)
日本橋駅 (銀座線・東西線・都営浅草線)
三越前駅 (半蔵門線 銀座線のりばへは遠い)
新日本橋駅 〈総武線(快速)〉
二重橋前駅 (千代田線〈行幸地下通路で連絡〉)
日比谷駅 (日比谷線・千代田線・都営三田線〈行幸地下通路で連絡〉)
有楽町駅 (山手線・京浜東北線・有楽町線)
銀座一丁目駅 (有楽町線)
京橋駅 (銀座線)
宝町駅 (都営浅草線)
丸の内口
詳細は「丸の内」を参照
東京駅丸の内口と高層ビル群
東京駅丸の内口前
西側の丸の内地区には、丸の内北口(旧称・降車口)、丸の内中央口(同・中央口)、丸の内南口(同・乗車口)がある。日本を代表する歴史的なビジネス街であると同時に、2000年代には丸の内ビルディング(丸ビル)、新丸の内ビルディング(新丸ビル)などの複合商業施設のオープンが相次ぎ、一躍観光スポットともなった。
駅の南にあった東京中央郵便局は、大阪中央郵便局とともに日本を代表する郵便局で、鉄道郵便輸送が日本の郵便を支えていた時代には当駅と同局の間に建設された地下通路を使って多くの郵便物が輸送された。この扱いは1978年に終了したが、その後も駅構内部分の地下通路は車椅子利用者などのために利用されている。
かつては日本国有鉄道本社ビル(1997年までは東日本旅客鉄道株式会社本社ビル)もあり、全国に鉄道網を張り巡らせた国鉄(建造当時は鉄道省)のシンボルとなっていたが、国鉄分割民営化に伴う長期債務返済のために売却され、その跡地には旧JTBビルと合わせて複合商業施設の丸の内オアゾが開業している。
丸の内中央口から皇居に向かって行幸通りと行幸地下通路が伸びていて、丸の内中央口からも皇居が見える。
クリスマスから元日までのシーズンには東京ミレナリオのイルミネーションが有楽町駅方面まで点灯されていたが、丸の内口工事のため2005年末の点灯をもって終了し、現在はこれに類似したイベントが開催されている。
京葉地下丸の内口からJR有楽町駅、千代田線二重橋前駅、有楽町線有楽町駅(東京国際フォーラム経由)、都営三田線・日比谷線日比谷駅(東京国際フォーラム・地下鉄有楽町駅経由)は比較的近接している。
八重洲口
東京駅八重洲口(2010年3月27日)
八重洲口とグラントウキョウサウスタワー(2008年7月)
詳細は「八重洲」を参照
商社など主要企業が軒を連ねる京橋・日本橋の玄関口であると同時に、2007年11月の大丸東京店の全面リニューアル、2008年3月の東京キャラクターストリート開業などにより商業スポットとしても注目されるようになった。 東京駅東側に隣接するエリアの住所は千代田区丸の内であるが、一般的に東京駅八重洲口・日本橋口に隣接するエリア全体を「八重洲」と呼ぶことが多い。
八重洲口エリアは地下街が発達しており、東京ステーション開発株式会社が運営する東京駅一番街、八重洲地下街株式会社が運営する八重洲地下街などがある。駅に隣接し、東京キャラクターストリート、東京ラーメンストリートなどを有する地下街が東京駅一番街、外堀通り・八重洲通りの地下に広がるのが八重洲地下街である。
八重洲北口付近(北側自由通路付近)には、黒塀横丁(地階)・キッチンストリート(1階)・北町ほろよい通り(2階)・ごちそうプラザ(2階)、八重洲南口付近には東京ラーメンストリート(地階)などの飲食店街がある。2001年に鉄道会館が開業し、ラーメン店、中華料理店などが入っていたラーメン激戦区東京編(八重洲南口・地階)はすでに閉鎖されている。
八重洲南口手前にはJR東日本リテールネットが営業するコンビニエンスストア「NEWDAYS八重洲南口店」がある。この店舗は「日本一忙しいコンビニエンスストア」として週刊誌『AERA』にも掲載されたことがある。
八重洲口には、南口に併設されたJRバスのハイウェイバスのりばをはじめとして、周辺に複数の高速バスの発着拠点が存在する→「東京駅バスのりば」を参照。
八重洲口の主な商業施設
大丸東京店
東京駅一番街
東京キャラクターストリート(東京駅一番街内)
東京ラーメンストリート(東京駅一番街内)
八重洲地下街
キラピカ通り
グランアージュ
日本橋口
JRの駅の北側にあり、永代通りに面している。正面ロータリーは長距離路線バスの降車場となっており、その先、永代通りの地下は東京地下鉄東西線の大手町駅となっている。日本橋口には東京ステーションシティの開発第一弾としてサピアタワー(地上35階・地下4階)が2007年3月に竣工した。
日本銀行
JXホールディングス本社
大和証券グループ本社
国道1号(永代通り)
丸の内トラストタワー
歴史
竣工当時の東京駅(全景)
竣工当時の東京駅(前庭より)
1889年に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。
日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年から建設工事が本格化し、1914年12月18日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面の原野に設定され、『東京駅』と名付けられた。
1919年に中央本線が、1925年に東北本線が乗り入れ、1929年には東側の八重洲口が開設するなど、徐々に発展していった。
しかし、太平洋戦争中の1945年5月25日の東京大空襲で、丸の内本屋の降車口付近に焼夷弾が命中して大火災となってしまった。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年3月にかけて修復工事を行ったので、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復元、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更[17]、といった内容だった。
できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている[18]。
一方、1929年には八重洲口が開設された。1948年にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年に失火で焼失してしまい、1954年に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままである。
1964年に東海道新幹線が開業し、1972年には総武地下ホーム、1990年には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、当駅は時代に合わせて順次拡大してきた。
年表
1907年(明治40年)3月15日 - 基礎工事着手。
1910年(明治43年)9月15日 - 仮駅の呉服橋駅(当駅開業と同時に廃止)が開業。工事中の当駅を通り抜けた300m北側(神田駅寄り)に存在した。
1914年(大正3年)
2月 - 竣工。
12月20日 - 開業(旅客駅)。東海道本線と京浜電車(後の京浜東北線)の起点となる。
1915年(大正4年)- 国鉄初の電気時計が設置される[19]。
1919年(大正8年)3月1日 - 中央本線が乗り入れ。近距離電車のみの乗り入れで、長距離列車は従来通り飯田町駅発着のままだった。
1925年(大正14年)11月1日 - 東北本線が乗り入れ。
1929年(昭和4年)12月16日 - 八重洲口開設。
1945年(昭和20年)
5月25日 - 東京大空襲による爆撃で、焼夷弾を丸の内南口ホール付近に受けて丸の内口駅舎が大火災となった。躯体は残ったが、屋根と内装の大部分は焼失。
6月25日 - 爆撃により八重洲口本屋を焼失。
12月20日 - 丸の内口駅舎修復工事開始。
1947年(昭和22年)
3月15日 - 丸の内口駅舎復旧工事完了。安全性の配慮から、南北ドーム部の3階建て部分が角屋根化され、駅舎も3階建てから2階建てに縮小される。
12月13日 - 八重洲口復旧工事完了。
1948年(昭和23年)11月16日 - 八重洲口駅舎完成、使用開始。
1949年(昭和24年)4月29日 - 八重洲口駅舎本屋が失火により焼失。
1953年(昭和28年)9月1日 - 八重洲中央口および南口開設。
1954年(昭和29年)
10月14日 - 八重洲口新駅舎使用開始(6階建て)。大丸百貨店開業。
10月21日 - 中央通路が八重洲中央口まで開通。
1955年(昭和30年)3月26日 - 八重洲北口開設。
1956年(昭和31年)7月20日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)丸ノ内線が当駅まで延長開業。
1959年(昭和34年)11月1日 - 丸の内口が乗車ロと降車ロをそれぞれ乗降できるように変更。
1960年(昭和35年)11月12日 - 東海道新幹線工事着手。
1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線の当駅 - 新大阪間が開業し、同時に新幹線の駅が完成。
1966年(昭和41年)10月1日 - 営団地下鉄東西線大手町駅開業に伴い、徒歩連絡を開始。ただし同駅は1956年3月20日から丸ノ内線の駅として開業しており、東西線の駅の開業までは当駅から大きく離れていた。
鉄道会館ビル
1967年(昭和42年)3月16日 - 東海道新幹線16番線が完成。
1968年(昭和43年)
1月10日 - 総武本線地下ホーム工事着工。
6月30日 - 八重洲口駅舎(鉄道会館ビル)を12階建てに増築。
1969年(昭和44年)
2月10日 - 八重洲地下商店街営業開始。
4月10日 - 八重洲呉服橋口完成。
1972年(昭和47年)7月15日 - 総武本線地下ホームが開業。
1973年(昭和48年)4月1日 - 第7ホーム(14・15番線)使用停止。これに伴い、東北・上信越を結ぶ「はつかり」「とき」などの一部の特急列車と中距離列車の乗入れを廃止。一方、寝台列車や優等列車は12・13番線に、横須賀線は13番線→10番線にそれそれ変更。
1976年(昭和51年)6月26日 - 東海道新幹線ホームに広告表示を設置。
1979年(昭和54年)12月1日 - 東海道新幹線14番線が完成。
1980年(昭和55年)10月1日 - 横須賀線と総武線の直通運転に添い、13番線廃止。この為、寝台列車は9・10番線に変更し、12番線は伊豆方面に向かう列車が中心となる。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物取り扱いを廃止。中央本線の特急列車「あずさ」が乗り入れ開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東海道新幹線の駅はJR東海が、その他の国鉄線の駅はJR東日本が運営を継承する。
1988年(昭和63年)3月13日 - 12番線廃止(のちに東北新幹線専用ホームとなる)。
1990年(平成2年)3月10日 - 京葉線地下ホームが開業。同時にJR東日本の改札口に自動改札機を順次導入。
1991年(平成3年)
3月19日 - 特急「成田エクスプレス」運転開始に伴い「さざなみ」「わかしお」を従来の総武線経由から京葉線経由に変更。
6月20日 - 東北新幹線が上野から当駅へ乗り入れ。
1994年(平成6年)12月3日 - 10 - 13番線廃止(10番線は1997年に使用再開)。
1995年(平成7年)7月2日 - 中央線1・2番線を2階から3階に移転。この後、1997年7月までに旧1・2番線を現3・4番線、旧3・4番線を現5・6番線…と順次各路線ののりばを丸の内側にずらしていく工事が行われた。
1997年(平成9年)10月1日 - 長野新幹線営業開始に伴い、上越・長野新幹線用20・21番線使用開始。この時12・13番線は主に東北・山形・秋田新幹線用となり、22・23番線に改称される。
1997年(平成9年) - 関東の駅百選に認定される。
1998年(平成10年)3月17日 - 東海道新幹線の改札口に自動改札機を導入。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
2003年(平成15年)4月18日 - 丸の内側の赤レンガ駅舎が重要文化財に指定される。
2004年(平成16年)
4月1日 - 営団地下鉄民営化に伴い、丸ノ内線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)が運営を継承する。
4月4日 - 東日本キヨスクが当駅内にある東京みやげ専門店「東京銘品館」を新装オープン。
2005年(平成17年)12月10日 - JR東日本のダイヤ改正により、20 - 23番線は東北・山形・秋田・上越・長野新幹線が方面に関係なく発着するようになった。20・21番線と22・23番線の方面別の使い分けを廃止。
2006年(平成18年)4月11日 - 東京駅とアムステルダム中央駅が姉妹駅となる。
2007年(平成19年)
3月 - 日本橋口に「サピアタワー」がオープン。(東京ステーションシティの一環)
5月30日 - 丸の内側の赤レンガ駅舎を開業当時の3階建てに「復原」する工事を着工。(東京ステーションシティの一環)
10月25日 - 中央地下コンコースにエキナカ商業施設の「グランスタ」がオープン。(東京ステーションシティの一環)
11月6日 - 八重洲口に「グラントウキョウ」がオープン。(東京ステーションシティの一環)
2009年(平成21年)3月13日 - 寝台特急「はやぶさ」「富士」が廃止。これにより、当駅発着の機関車牽引の定期客車列車が全て消滅。
2010年(平成22年)3月28日 - 改札内1階にエキナカ商業施設「エキュート東京」がオープン。(東京ステーションシティの一環)
2013年 - 東北縦貫線が完成し、常磐線(快速)・宇都宮線・高崎線が当駅まで延伸する予定。
事件
1921年(大正10年)11月4日 - 当時の内閣総理大臣原敬が丸の内南口(乗車口)で暗殺(刺殺)される(原敬暗殺事件)。
1930年(昭和5年)11月14日 - 当時の内閣総理大臣濱口雄幸が第4ホームで狙撃される。
襲撃の現場であった所にはそれぞれプレートが付けられ、床に大理石の白い丸で印されている。後者はプラットホーム上で起きたものだが、構内の線路配置の見直しで第4ホームがなくなり、その直下に当たる10番線下の中央通路に白い丸で印されている。
原遭難現場の印(2007年8月13日)
駅長
蒸気機関車の時代から、当駅の駅長は毎朝9時に発車する特急列車を見送る慣例があった。東海道新幹線の開業後は同じく9時発の「ひかり」を見送っていたが、国鉄分割民営化後は在来線、東北・上越・北陸(長野)新幹線がJR東日本、東海道新幹線がJR東海の管轄となったため、JR東日本の駅長は在来線の「踊り子」(2010年3月13日改正のダイヤでは伊豆急下田・修善寺行「踊り子105号」)の発車を見送っている。
現在、JR東日本の駅長は現場の職員としては唯一の取締役となっている。「東京駅長」と言えば、国鉄時代には「現場の最高職」と言われ、駅員や運転士、機関士達の憧れの地位だった。民営化されJRとなり、当駅はJR東日本とJR東海の2人の駅長が置かれることになった。前者に関しては「現場の最高職」という慣習が残っており、後者も慣習は関係ないが2008年7月現在の駅長は執行役員である。
隣の駅
東日本旅客鉄道
■東北・山形・秋田・上越・長野新幹線
東京駅 - 上野駅
■中央線
通勤特快・中央特快・青梅特快・通勤快速・快速・各駅停車
東京駅 - 神田駅
■京浜東北線
快速
秋葉原駅 - 東京駅 - 浜松町駅
各駅停車
神田駅 - 東京駅 - 有楽町駅
■山手線
神田駅 - 東京駅 - 有楽町駅
■東海道線
通勤快速・快速「アクティー」・普通
東京駅 - 新橋駅
■総武線(快速)・横須賀線
新日本橋駅 - 東京駅 - 新橋駅
■京葉線・武蔵野線
京葉快速・武蔵野快速・通勤快速・各駅停車
東京駅 - 八丁堀駅
東海旅客鉄道
■東海道新幹線
東京駅 - 品川駅
東京地下鉄
○丸ノ内線
銀座駅 (M 16) - 東京駅 (M 17) - 大手町駅 (M 18)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金券ショップとは
金券ショップとは、各種金券・航空券・回数券・株主優待券を取り扱う古物商のお店です。金券ショップは別名、チケットショップや金券屋ともいわれ、 基本的に金券の売買は1枚から可能です。金券ショップ併設や単体で、金券や回数券を販売する自動販売機の設置も行っています。
郵送による金券の販売や買取を行っている金券ショップもあります。金券ショップは、1997年7月以前は、金券のみ取り扱う古物商は、届出が必要なかったが、法の改正後は金券ショップもリサイクルショップ同様に届出が必要となりました。金券ショップでは各種金券の販売・買取以外に委託販売にてもコンサートやスポーツ、ミュージカルなどのチケットを取り扱っています。
金券ショップのすすめ
金券ショップは節約生活の重要な位置をしめています。たかが10円、20円と考えるかもしれませんが、利率で考えると1%~2%はお得です。
預金でも1%の利息はつきません。また、金券は運用期間も短く、5%以上お得なものさえあります。さらに、金券は使う分だけ購入すれば投資のリスクも低くなります。金券はとてもお得なものなのです。













